本日のちょっと分かった。(ような気がした。

(上記のURLで示された、ドキュメントを眺めつつ...)
結局、構文 (syntax)とセマンティクス (semantics)を切り離すことは出来ないんだと思う。(という文章はヘンかも。つまり、どこまでいっても、構文というか文法と意味は切り離されないんだと思う。
それを切り離したかったから、「XMLが生まれた」、というのも一つの側面だと思うんだけど、それでも表層的には一応切り離されたかに見えるけど、文法と意味の分離をさらにもう一つ深いレベルに先送りしただけのような気がするんだよな〜
いや、まだ思い付いただけなので、うまく言えないんだけど。
あまり良い例じゃない気もするけど、一例を挙げると、これまで

<FONT SIZE="+3" 〜
とかHTMLタグで書いて、文字の大きさを大きくしようとしてたよね。(誰が?
それを誰かがデザイン(文法)とドキュメント本文(意味)がごちゃ混ぜにまっていて良くない! とか言い出して、スタイルシートとか、XSLで見た目を変更した方が良いんじゃん、という流れになった。(ような気がする...
まあ、確かに御利益として、

  • あるデータをPCのWebブラウザ用のHTMLとしてレンダリングさせたり、携帯やモバイル端末用にレンダリングさせたり、あるいはPDFに変換する、という要求を、コンテンツの量が莫大になった時、「全て予め手作業で用意しておく」という手法に比べ、ずっと低コストで実現できる。
  • あるいは、動的なコンテンツの変化に対してもリアルタイムで対応できる。

などが挙げられると思うし、実際コレは無視できないほどの恩恵があるとは思うのだけど。
でもそれでも、あえて自分がひとつイチャモンを付けてみるとすれば、

<FONT SIZE="+3" 〜
と書いたときに、この文法には、文字を大きく見せたい、という意味が込められてると思うんだよね〜
いや、だから何? と言われると、今はそれ以上、答えられないので、この話は次回に続く、ということで...(弱ッ!!