ツクモ倒産に思う。

昨日、爆睡してる間に九十九電機が大変なことに。民事再生法の適用を申請したらしい。うーん、LAOXも何年も前からダメダメな感じだったし、秋葉の小さいPCパーツショップは山ほどつぶれてるし、ツクモも大丈夫かなあ、とは前から思ってたんだけど、やっぱりダメだったのねー、負債総額は110億円。けっして小さくはないよねえ。まあ、店舗は営業を続けながら再建を目指すみたいだけど、ツクモそのものだけではなく、各方面への影響も小さくはないと思う。


思えば、ワシは上京して秋葉に通うようになった頃から、ツクモが好きだったのだった。秋葉で一番好きな店だったかも知れない。そして、ツクモに関しては色々と思い出が多い。
今から15年以上前。ワシの記憶が定かならば、某みるきぃ・うぇいという超妖しい草の根BBSのオフ会に一番最初に参加した時も、集合場所がツクモ本店だった気がする。そこで某猫飯店さんという人に会った気がする。そして、シャンプーの扇子を持っていたので、響シャンプーさんと間違えて、こっぴどく怒られたのも今となっては良い思い出だ。(ぉぃ
さらに、ツクモニューセンター店では当時X68000を扱っていたので、生粋のX68000ユーザーだったワシは何かと思い出が多い。どういう経緯だったかはもう覚えてないが、当時、X68000Compactを買うという、拝御先生に同行することになったワシは、X68000Compactを買うために用意した現金の束で、拝御先生に頬を張られるのだった。当時、上京したてのワシは初対面の人間にこんなことをするとは東京って本当に恐いところだと思ったのを良く覚えているが、後になって分かったことは、初対面の人間にそんなことをするのは東京広しと言えども拝御先生だけだということだ。(ぉぃ
さらに、ニューセンター店では、当時X68000ユーザーの定番アイテムだった、MOドライブを購入したりした。それ以外にも色々とX68000用の周辺機器を買っていたと思うし、X68000本体を買うという友達を連れて行ったりもした。
その後は、DOS/Vブームもあって、PCユーザーとなったワシは、しばらくツクモを離れ、秋葉の小さいパーツショップを巡りながら、その時々で在庫があって店頭価格の安い店で、買い物をすることが増えたように思う。ただ、Macが欲しいという知人を、ツクモ本店地下のMacフロアに連れて行った記憶はある。
それからずっと最近になって、自作PCブームもすっかり落ち着いた、2002年頃。巷のパーツショップも淘汰が進み、あまりこれといって贔屓にする店もなくなったので、ワシはツクモでPCパーツを買うことが多くなった。思えば、当時、仕事で何台もPCを組んだりしたが、その時も、ツクモでパーツを調達した。ちなみに、仕事で購入したパーツでポイントをたんまりと溜めて、ポイントで自分のマウスをこっそり買っていたのはここだけの秘密である。(ぉぃ
当時、もうイヤというほど自分のも友達のも会社のも何台も何台も何台も何台も何台も何台も何台も何台も...PCを組みまくったワシは、2005年2月にNECの水冷PCを買って以降、スッカリPCを自作することがなくなってしまうのだが、そのPCを組まなくなる時期に入る前に、最後に自分用のPCを組んだのが恐らく、2002年の年末頃だったのではないかと思う。その時も、ツクモのケース王国でケースを買ったのを覚えている。ケース以外にも多くのPCパーツをツクモで調達したように思う。当時はヨドバシが秋葉に進出する前だったので、秋葉でPCパーツを買ってポイントが溜まる店というのもまだ珍しかった。
その後、職場が秋葉のそばだったこともあり、仕事帰りに7:00PM〜7:30PM頃ツクモ本店(正確には本店II)に寄って、ちょっとしたHDやメモリなどの、PCパーツをよく買っていたのを覚えている。特に忙しくないときは、仕事が終わる時間帯がそれくらいだったので、ちょうどその時間まで営業していて、芳林公園のあるメイド喫茶ゾーンというか、PCパーツショップゾーンにまで行かなくとも、パーツの買い物が出来るのは便利だった。しかもポイントも溜まる。その後、東京を離れてからも、秋葉に行ったときは、ちょくちょくツクモ本店IIに寄り、1Fのパーツ売り場で買い物をしたりしていた。なので、自分にとっての最近のツクモと言えばツクモ本店IIだった。


こうやって思い出してみると、パソコンショップ、あるいはPCパーツショップとしての秋葉が楽しかったのは、やはり90年代だったなと思う。DOS/Vブームもあったし、自作PCブームもあった。Windows95が出た頃の秋葉はなんだかんだ言っても、まだ活気があったように思う。というかあの頃がもしかすると全盛期なのか? ツクモだけではなく、LAOXもあったし(今もあるけど特に象徴とも言えるザコン館)、当時はT-ZONEもいっぱいあったし、ソフマップは鬱陶しいくらい秋葉中にたくさんあった。(苦笑
思えば、ロケットもまだ健在で、駅前のロケットはエムズに乗っ取られる(ぉぃ、前だった。ドンキホーテに乗っ取られる前のあのビルは、LAOXアソビットシティだったりT-ZONEだったり、電器屋だったりした。電器屋の名前は忘れたけど。(ぉぃ
自分にとっては秋葉と言えばその頃の秋葉で、その頃の秋葉がやっぱり一番好きだった。メイド喫茶だらけになって街はメイドに占拠され、そしてオシャレな高層ビルが建ち並ぶ秋葉も、また新しい秋葉の有り様だとは思うけど、ワシにとっての楽しかったあの秋葉は90年代に既に終わっていたのだった。だからたぶん、広島に戻っても困らないと思ったんだろう。自分にとっては東京=秋葉だったし、その秋葉にメイド喫茶以外に用事が無くなった今は、東京に居続けるだけの意味を失ってしまったのかも知れない。


だけれども、約15年間、ワシが秋葉に通い続けて学んだことは、秋葉という街の本質は変わり続けることを受け入れること、ということだ。だから、秋葉が今の秋葉であることも別に悲しくはない。本当の秋葉らしさとは、停滞せずに変わり続けることにあるのだから。ただ、本当に自分が好きだった秋葉の時期が過ぎ去ったという、ただそれだけのことなのだから。