オタクと同人と著作権。

「オタク世界の閉塞感」あるいは、同人業界の閉塞感について、すごくよく書かれた記事だと思った。書き手の危機意識が生々しく伝わってくる。自分も10年以上、コミケットにサークル参加していた*1ので、年数を重ねている分、思うところはある。
まず、いわゆる「ポケモン同人誌事件」について。この事件については、インパクトが大きかったので記憶としてハッキリと残ってはいるが、実は詳細はよく知らなかった。作者本人の体験については初めて目にしたので、正直なところ少なからずショックを受けた。ただし、事件から10年近い時間も経過していることから、この事件が今の同人界隈に落としている影というのは、自分はそこまで大きくないのでは、と思う。若い描き手は事件のことを知らないものもいるのではないか。いや、そもそも自分が興味のあるジャンル以外のことは詳しくないので、私のコメントが的を射ていない可能性もあるが、コミケのイベント会場や、とらのあなのような同人誌委託先店舗に自らおもむいて肌で感じるところでは、描き手の勢いは十分にあると思う。むしろ最近、消しの少ない同人誌を見かけるようになって「大丈夫か?」と思うくらいである。少なくとも男性向け(アニパロなど)のジャンルでは。
それよりも個人的には、2005年に発行された、ドラえもんの最終回を描いた同人誌についての事件(Wikipediaによれば「田嶋安恵同人誌事件」)の方が、昨今は影響が大きいのではないかと思う。

これらの事件に共通して言えることは、著作権者の任天堂にせよ小学館にせよ、著作権者側が二次創作されることに不慣れ、というか、それを前提としていない企業ということ(当たり前だが)。その場合、(二次)創作者側も慎重にならざるを得ない、と思う。しかしながら、今や著作権者側が二次創作されることを前提としている場合も少なくはない。また、著作権を所有する企業側にとっても、二次創作されることで市場がより大きく形成されるメリットがあるので、あえてそれを嫌わない、あるいは作品のイメージを損なわない限りにおいては歓迎されるケースさえあると思う。また、実際に二次創作を認め、著作権者側から二次創作についてのガイドラインが提供される場合もある(特に著作権者側が同人出身だったりすると、話は早い)。
ここで本文記事から一部引用すると、


どんなに「オタク=犯罪者」というレッテルを貼られても「自分たちは何も悪いことはやっていない」
と胸を張ろうとしてきたオタクたちが、その活動内容さえも「違法である」と認定されてしまったのだ。
これについては、そもそも二次創作は著作権者に許可を得ていない限り、原則として違法行為である。「パロディは新たな創作物」という免罪符もあるが、現状の多くのアニパロ同人誌を見れば、苦しい言い訳に聞こえるだろう。しかしながら多くのケースにおいて、著作権者側が告発をしないため、現状の同人誌市場がなんとか成り立っているわけである。この点については、(二次)創作者側に後ろめたい意識がなければ、むしろ問題があると思う。
さて、

オタクたちの受け皿になるものは絶対にできるだろうが、どんどん細分化されていったオタク文化が、
さらに小さく解体されバラバラになる可能性はある。
こちらについてだが、これは既に現在進行形であると自分は思う。
オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

詳細はこちらの本に詳しい。「オタクはすでに死んでいる」とはずいぶんショッキングなタイトルだが、オタクを否定する内容の本ではない。「オタク文化」の変遷を詳細に解説した本である。この本によれば、かつてのオタク民族は消滅し、かつてのオタク文化は滅び、今や○○や○○*2が好きな個々人がそれぞれ存在するだけだ(意訳)。しかしながら、今はWebの存在が個別の価値観をピンポイントに結んでくれる。晴海時代(コミケット)に味わったような一体感──皆が皆、オタク文化の中に身を投じ、共通の言葉で語れる民族はもう存在しないかも知れないが、小さく解体されバラバラになった個々人は、トラックバックリファラーを送り合うことで互いの存在を確認できる時代となった。そしてそこに、けっして大きな不安はないと思うのだ。

*1:正確には、C46(1994年、夏コミ)〜C72(2007年、夏コミ)

*2:○○の中には好きな作品を入れてください。